「ギャザを実装できるか」は ゲームプログラミングのよいドリルになる説
http://www.tatsuya-koyama.com/4.0/html/tknotes/mynote/thoughts/2013-1022-mtg-programming.html
机のすぐ横の壁に1年分のカレンダーを貼った。1日の価値を実感できてよい。アナログな紙は融通がきかないが、だからこそ価値がある。
http://www.tatsuya-koyama.com/4.0/html/tknotes/mynote/thoughts/2013-1022-mtg-programming.html
って記事書いた
http://www.tatsuya-koyama.com/4.0/html/index.html
それはそうと Tumblr でリンクをポストしようとしたらめっちゃ文字化けしてうわぁ、ってなった。どうにかできないんかなこれ
相反する感じのものを組み合わせるデザインが好きだ。
カフェオレとか、アイスの天ぷらとか、サマーウォーズのサイバー世界と花札とかね。
白黒つけないのがいいんだよね。ギャザで言うとオルゾフだよね。(最後にまさかのギャザ)
鉛筆のいいところは、使ったらなくなっちゃうアナログ感。
紙のノートのいいところは、際限なく書けずに埋まっていく充足感。
紙の本のいいところは、電気がなくても使えて保存できる確かさ。
どれも僕らが他の便利なものを手に入れたことで、新しく見えてきた価値だ。
昔のとんち話にありそうな小話を考えてみた。
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先輩「タスクがたくさんあるね」
後輩「そうですね先輩」
先輩「1 時間のタスクと 2 時間のタスクの 2 種類がある」
後輩「1 時間のは僕がいつもやっているやつですね」
先輩「どうだろう、その 1 時間タスク、今日は俺がやってやろうか」
後輩「え、いいんですか」
先輩「すると君は何もせず 1 時間分の成果を得る。使わなかった 1 時間は別のことに使える。つまり俺から 1 時間もらったようなものだ」
後輩「そうですね先輩」
先輩「俺にこのタスクをやらせれば普段の 1 時間の消費がなくなって、俺から 1 時間もらえるんだ。合計で 2 時間も得するぞ」
後輩「すごいですね先輩」
先輩「じゃあ君はその得した 2 時間でこちらの 2 時間のタスクを…」
後輩「いえ、それならそのもらった 2 時間で、先輩がいつもやっている 2 時間タスクを僕がやりますよ」
先輩「参ったね、今度は俺が 4 時間も得してしまった…」
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定期的な支出を無料化すると、普段の支出がなくなってさらに対価が得られるから 2 倍得しているように感じるという話。こういう言葉回しはしょうもないけど面白い。
もちろん論理の穴は「普段の支出でも対価は得られている」というところ。上の例で言うと「1 時間の消費で 1 時間分の成果を得る」を「0 時間の消費で 1 時間の成果を得る」に変えてるのだから結局 1 時間しか得はしてないってこと。念のため。
ビデオゲームのプレイヤーの介入の仕方には「意思決定」と「アクション操作」がある。「アクション操作」に振らずに面白い(やる意味のある)ゲームをつくるには何が必要か。
選択にジレンマを生むには、毎回変わる状況に応じて判断をさせる必要がある。そのためには、ゲームに影響を与える外的要因が必要である。例えば:
これらが無いと覚えゲーになる。ただしこれらが過度に対処不可能だったり予測不可能だったりすると、無理ゲーや運ゲーになってプレイする気が起きなくなる。僕らはゲームに、ワンパターンとカオスの間にあるレベルの複雑さを求めている。
忘れないようにしよう。僕は雰囲気ゲーやアートを作りたいのではなく、ゲームを作りたいんだ。